日本の信徒発見150周年に寄せて
2015年3月17日、大浦天主堂で潜伏キリシタンがプチジャン神父に信仰を告白した日本の信徒発見から150周年を迎えます。
Ensemble Choir SPERAが長崎・東京で記念演奏会を行うのを前に、指揮者小口浩司が日本の信徒発見150周年への想いを3回にわたって語ります。
「長崎とSPERA」
2014年3月に私の合唱指揮活動10周年記念演奏会を終えたのですが、これから何をやっていくかと考えたとき、信徒発見150周年という節目は、長崎の「ご当地」の話で、なかなか一般の方々には知られていません。
東京で演奏するのが四旬節の黙想の時期であるのと同時に、ずっと昔から流れているキリスト信仰の今の形を音楽で伝えることが私の仕事だと思い、企画がスタートしました。そうしたときに、長崎の高見大司教様から面会をいただく機会があり、本企画のきっかけになったのです。
最近は長崎の教会群を世界遺産にという話題が目立ちますが、地元の信者にとって教会は世界遺産云々ということではなくて、自分たちの神様の家なのです。教会の数は膨大です。少ない信徒の数で、数軒の信徒で一教会堂を維持しなくてはならない。なかにはローンを組み、莫大な費用をかけてでも教会堂を守り、信仰を守り継いでいるところもある。
私が長崎を巡礼し、地元の人たちのそうした現状を知っていくなかで、自分自身が長崎の地のために何かできることはないだろうかと考えました。やはり私は音楽の人間なので、それを通して活動するなかで集めた収益を長崎の今後の発展のために、少しでも福音宣教のために、用いられたら喜びだなと思いました。
これまでは「長崎の信徒発見」でしたが、ローマにも申請され、これからは「日本の信徒発見」となります(「日本の信徒発見の聖母の祝日」として認可)。それは長崎のことなのですが、日本全体において重要な出来事であったということなのです。今回の演奏会は、カトリック長崎大司教区としても後援をしていただくことになった。私の背中を押してくださる神様の導きがピタッと合わさった。多くの方のお導きによって、私の考えていた小さな思いが、大きなビジョンに変わってきたことを嬉しく思います。
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演奏会では前回も出演した「アンサンブル・クワイヤー・スペラ」(男声聖歌隊)のメンバーが歌います。私との音楽作りの経験が一番長いことと、何よりも先入観なしで音楽を通して自然に神様を見るということができていること。やっぱり教育ってすごいなと思うのですが、頭で考えて理解することももちろん必要ですが、私が小さい頃から教会の中で体験的に神様とかかわってきたことと同じように、礼拝、音楽を通して奉仕し、そこに何の迷いもなくただ単に一点だけを観ていくことが大切だと思います。
自分たちが活動していくなかで、欲も出てくるのは当然です。しかしそんなことを抜きにして、純粋に音楽を楽しみ、その音楽と信仰を人に伝えることを自分たちの使命だと思いたいと考えています。
「歴史の中の日本の信徒発見」
演奏会では、『典礼聖歌』や『カトリック聖歌集』からさまざまな曲目を選ぶ予定ですが、「日本の信徒発見の聖母」なので、まずは日本の中で大事にされてきているものを取り上げたいと考えています。
信徒発見という出来事があった当時の典礼は、ラテン語でなされていました。私が2年前の3月17日に大浦天主堂でミサに与ったとき、ミサ曲はラテン語だったのです。日本語のものもやっていました。隣に座っていた外国の信徒は日本語の歌は歌えないが、ラテン語のミサ曲は一緒に歌っていました。
第二バチカン公会議以後、各国の言葉を大事にするということになっていますが、教会の公用語としてラテン語を捨ててはならないとする部分はまだありますし、そこで培われてきた伝統作品も大切にする必要があります。四旬節の時期に相応しいものと、そして、信徒発見の聖母ですから、マリア様を題材とするラテン語の作品も演奏したいと思います。
日本のカトリック教会は『典礼聖歌』を中心にやっていますが、『典礼聖歌』の前に『カトリック聖歌集』があります。『カトリック聖歌集』は典礼のなかで歌われることは少なくなってきましたが、それらは文語体で、先人が大事にしてきた日本語の聖歌ですから大切にせねばなりません。
『典礼聖歌』も自然にミサで歌っているものですが、改めて芸術的な観点からスポットを当てることによって、その楽曲の本質をもう一度皆さんに確認していただきたい。普段は歌うことによって〝アウトプット〟しているものですが、聞くという〝インプット〟する作業をすることは、ある意味「黙想」だと思います。
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また『典礼聖歌』にも『カトリック聖歌集』にもラテン語の作品にもない部分――私が長崎の地で感じているもの――を取り上げたいと思います。
「信徒発見」を考えたときに、ただ単に150年前のことだけを思考するのではなく、もっとそれ以前から歴史が繋がっているわけで、その原点となったのが豊臣秀吉です。当時「26聖人の殉教」が起こり、それ以後、江戸の時代にも人々は迫害のなかで信仰生活を送ってきました。
歴史の教科書では、それこそ踏み絵を踏まされたとか、部分的にわずかしか書かれていない。本当の意味で日本人がどういう状況下で信仰を守り継いできたのか、日本人でありながらあまり知らないのが実情だと思います。
殉教した人もそうですが、なかには踏み絵を踏んだけれども、心の奥底にあるかすかな希望を守り継いだ多くの人たちがいたわけです。そこで、信仰の深い部分を音楽の形で表現できる方法はないだろうかと考えました。そのときにパッと思い浮かんだのは、26聖人の殉教地でした。その場所とされる長崎市の西坂公園に行きますと、レリーフが建っているのですが、ラテン語で、〝Laudate Dominum omnes gentes〟とあります。それは「すべての国よ、主を讃えよ」という神様を讃える大きな賛歌ですが、そこであらためて、「殉教は讃えること」だという考え方に感動を覚えました。あのレリーフの前に立つと、いつもすごく大きな聖霊、ふぁーっとした喜びを感じるのです。
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日本26聖人殉教の日にあたる2月5日は、長崎では一日中ミサがあげられています。その日に何度か長崎を訪れているのですが、殉教ということにばかり注目されたり、「キリスト教って殉教して聖人になり、つまり……自分の命を捨てることがキリスト信仰なの?」と勘違いされている部分があるようにも感じます。
決してそういうわけではなくて、神様はどこにいるのかというと、神様は自分と一緒にいるのですね。自分のなかにいる神様と、育ててきた信仰の先にあるものがたまたまその当時は殉教であった。つまり、昔は武士でも責任をとることが切腹することだったのと同じように……。その地で、その時代においては、殉教することだったのだろうけれども、今の私たちが受け継いでいる同じ信仰を形づくるものは何かといったら、皆個々のそれぞれのキャラクターであり「タレント」だと思うのです。私は音楽をとおしてそのタレントをどう使うのか? と考え、テゼ共同体の歌を用いて『26聖人殉教者への祈り』という組曲を今回この演奏会のために編曲することにしました。
「日本の信徒発見150周年とこれから」
信徒発見の地であった大浦にはマリア様がいますけれど、「サンタ・マリアの御像はどこ?」と当時あの場所に来た人たちが喋りました。その御像の前で私もミサに与りました。大きなマリア様としてホームページでも載っていますが、実際に大浦天主堂の中に行くと、右側の脇祭壇にポツンとある小さなマリア様なのです。だけれども、これはプチジャン神父様がフランスから多くの人たちへのとりなしのために持ってきたもので、そのマリア様の前で奇跡が起こったのです。その奇跡はどうしても音楽にしなくてはいけないと思って。「日本の信徒発見の聖母」ですから、それに捧げる作品ということでミサ曲を書いたというわけなのです。本来四旬節なのですが、喜びでありますし、特別な時ですから、栄光の賛歌のグローリアも入っていまして……。こだわりが満載です。
信徒発見150年を考えることは、未来に向けての信仰の新たなムーブメントだと思っています。誰かが何かきっかけを起こさなければ、それは伝わらないと思います。ひょっとしたら殉教するかもしれないと思って大浦天主堂に行って神父様の前で自分たちの信仰を告白したあの人たちの強い想い……。一信者であり一音楽家である者として、一石を投じたいのです。
また、これはアニバーサリーだけど、ゴールではない。別に150年じゃなくてもいいのです。でもなぜ150年を意識しなくてはならないのかというと、やっぱり150年というアニバーサリーがあることによって、皆がそこに注目してくれるからです。
私たちは弱い人間だから、信仰がちょっと揺らいじゃうことだってある。だけど150年という節目の時であるからこそ、私たち自身がもう一度先人を思い起こし、未来に向けて再考するチャンスです。その機会をどう生かすべきかと考えたときに、今を大事にするということに思いいたりました。次世代の人たちに受け継いでいく働きとしてやらなくてはなりません。教会は子どもが少なくなっていますし、高齢化していますから。
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神様の望んでいた「神の国」は教会共同体だけにとどまるものではなくて世界中の平和のことなのだから、福音を伝えていくことは、現代における全ての人に課せられているのだと考えています。
私の霊名(カトリック教会の洗礼名)はパウロです。私自身はあの使徒パウロと同じにはなれませんが、その想いを自分ができることをとおしてやっていきたいし、それが必要なことだと思う。長崎でのひとつの出来事としてにとどまらず、皆が信徒発見150年を考えるなかで、新しい時代に向けてのムーブメントを起していただきたいなと思います。それがなくて教会の未来はありません。福音宣教が大きく花開くために私自身が種まきをしていくこと、これしかないと思っています。
普段はエキュメニカルな活動をしていますが、今回はカトリックに特化しました。私の身体のなかでいつも感じている、いつも一緒に生きている神様と信仰に、真正面から向き合うことができるプログラムを考えました。この想いを届けて、皆様方にいろいろなことを感じていただきたいです。一人ひとりが歩みを進められていけるような、力に満ちた演奏会にしたいですね。キリストの力を音楽で感じる演奏会にしたいと考えています。
(キリスト新聞2014年12月25日5面「◆指揮者・小口浩司氏インタビュー◆ キリスト教合唱音楽の喜びと信仰伝える 〝信徒発見150周年〟記念し、来年3月に東京・長崎で演奏会」より抜粋し、一部改変)